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2026/01/30
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インバウンドという波
最近、上越市でも外国の方を見かけることが増えてきました。
スーパーの惣菜売り場、ドラッグストア、そして回転寿司。
「観光地」というほどではない日常の場所に、自然に溶け込むように外国の方がいる光景が、いつの間にか当たり前になりつつあります。
先日、回転寿司に入ったときのことです。
欧米の方が10人ほどが、2つのテーブルを囲んでいました。
誰かが皿を取るたびに笑いが起き、写真を撮り、何かを確かめるように頷き合っている。
その様子は、観光というよりも「体験」に近いものでした。

ヨーロッパで寿司を食べようとすると、
コース料理で一人10,000円以上かかるのが当たり前だと聞きます。
それも、特別な日や記念日でなければ選ばれないような、少し背伸びした食事です。
それが日本ではどうでしょうか。
回転寿司という形式で、
高い鮮度の魚を、職人の手によって、
しかも2人でお腹いっぱい食べても4,000円くらい。
欧米の方から見れば、
「普段はコースでしか食べられない寿司」が、
まるでジャンクフードのような気軽さで、
しかも自国で食べるよりもはるかに美味しい状態で提供されている。
驚かないほうが不思議です。
日本食を楽しみに、日本へ来る人たち
外国から日本を訪れる人の多くが、
日本食を楽しみにしています。
寿司、ラーメン、天ぷら、焼き鳥。
有名店やミシュランの星がついた店ももちろん人気ですが、
それと同じくらい、
「地元の人が普通に行く店」
「観光地化されていない食事」
に価値を見出す人が増えています。
なぜなら、そこにこそ
“本物の日本”があると感じるからです。
では、上越では何を提供できるのでしょうか。
海が近いことで水揚げされる地場の魚。
季節ごとに姿を変える山菜。
雪国ならではの保存食、発酵文化。
そして、派手ではないけれど、確実に美味しい日常の食卓。
私たちは普段、あまりにも当たり前にそれらを口にしています。
「美味しい」ことが日常すぎて、
改めて価値として考えることすら、ほとんどありません。
しかし、外から来た人にとっては違います。
春に出てくる山菜の苦味。
刺身にしたときの魚の身の締まり。
味噌汁の出汁の香り。
それらはすべて、
「体験したことのない味」であり、
「物語を感じる食」です。
当たり前に囲まれている、という贅沢
上越で暮らしていると、
美味しいものに囲まれすぎているがゆえに、
その価値に鈍感になってしまいます。
今日は魚がいい。
今日は山のものが食べたい。
そんな選択が、特別なことではなく、日常の延長線上にある。
けれど、それは世界的に見れば、とても珍しい環境です。
多くの国では、
食材は流通によって均一化され、
季節感はスーパーの棚でしか感じられません。
「今、この場所でしか食べられないもの」
が、生活の中に自然に存在している地域は、実はそう多くありません。
インバウンドの本質は、
新しいものを作ることではありません。
すでにある日常に、価値があると気づくこと。
回転寿司が観光資源だと言われる時代です。
ならば、上越の食文化や暮らしは、
まだほとんど手つかずの“宝の山”とも言えます。
観光地にならなくていい
ここで大切なのは、
「上越を観光地にしよう」と無理をしないことです。
派手な演出も、
外国人向けに作り込んだメニューも、
必ずしも必要ではありません。
むしろ、
変えないこと
飾らないこと
のほうが、価値になる場面も多い。
地元の人が通う店。
地元の人が使うスーパー。
地元の人が当たり前にやっている暮らし。
それらをそのまま残すことが、
結果的に、インバウンドにとって一番の魅力になる。
上越は、
「見せるための街」ではなく、
「生きている街」です。
その空気感ごと、伝わっていくことに意味があります。
ここまで読んでいただいて、
「それは飲食や観光の話であって、
ものづくりの会社には関係ないのでは」
と思われたかもしれません。
でも、実は同じ構造があります。
福田鉄工は、
上越最大級の化学工場のインフラを、長年支え続けてきました。
派手さはない。
名前が表に出ることもほとんどない。
けれど、止まったら困る仕事を、当たり前のように続けている。
それは、上越の食文化とよく似ています。
毎日あるから気づかない。
高い品質だからこそ、特別視されない。
でも、外から見れば、驚くほどの精度と信頼性。
インバウンドという波は、
外国の人に何かを売ることではありません。
自分たちの日常が、実はどれほど価値のあるものかを、
外の視点で再発見すること。
福田鉄工が積み重ねてきた仕事も、
まさにその対象です。
誇れる仕事を、誇れると言っていい。
それだけで、十分なのだと思います。
