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2025/10/09
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『鬼滅の刃 無限城編』を観に行った日。
上越J-MAXシアターで感じた鼓動 —
静かな朝に、胸がざわつく
今日はプライベートで気になってた映画のお話しです!
その日、目が覚めた瞬間から胸の奥がざわついていた。
ようやく公開された――『鬼滅の刃 無限城編』。
「無限列車編」「遊郭編」「刀鍛冶の里編」「柱稽古編」と続き、ついに物語はクライマックスへ。
あの壮絶な戦いが、スクリーンの中でどんな迫力を見せるのか。
そして、炭治郎たちがどんな決意を胸に前へ進むのか。
お茶を飲みながらニュースアプリを眺める。
SNSでは「無限城、泣いた」「圧巻」「呼吸止まるレベル」といった感想が溢れていた。
もう待てない。
財布とスマホを掴んで、車のキーを回した。
J-MAXシアター上越へ — 静かな高揚感
上越市富岡。
海風が少し強い午後。
駐車場に車を停めた瞬間、ポスターに描かれた炭治郎たちの姿が目に飛び込んできた。
炎のような赤と、闇のような黒。
“無限城”という名にふさわしい、重く荘厳な世界観がそこにあった。
自動ドアを抜けると、ロビーにはポップコーンの香り。
チケットカウンターには列ができ、みんなの視線が同じ方向を向いていた。
子どもも、大人も、学生も。
この作品には、世代を超えて人を惹きつける何かがある。


券売機の画面に映る「鬼滅の刃 無限城編」の文字をタップした瞬間、
指先が少し震えた。
チケットを手にしたとき、もう現実の世界から半分離れていた。
ロビーの光、そして静寂
上映まで15分。
壁には歴代シリーズのポスターが並び、
「無限列車」「遊郭」「刀鍛冶」…その全ての戦いの軌跡が一望できる。
ひとつの物語を追いかけてきた時間が、
自分の中の何年もの思い出と重なった。
隣では、親子が「伊之助かっこいいよね」「善逸また叫ぶかな」と笑っている。
その無邪気な声を聞いて、少し心が温かくなった。
映画館は、知らない人同士が“同じ物語を信じる”場所だ。
この空気が、僕は好きだ。
暗転。スクリーンが、呼吸を始める。
照明が落ち、館内が暗くなる。
そして、静寂。
心臓の鼓動だけが聞こえる。
スクリーンいっぱいに映し出されるのは、
見たことのないほど壮大な“無限城”の内部。
重力がねじれ、建物が上下左右に反転する。
三味線の音が鳴り響くたびに、映像が舞い、空間が揺れる。
思わず息を呑む。
アニメではなく、もはや“体験”だった。
音が凄い。
上越のJ-MAXのスピーカーがこれほどの迫力を出せるとは思わなかった。
刀の金属音、風の流れ、呼吸の響き、そして鬼の咆哮。
すべてが肌に届くようだった。


絶望と希望の狭間で
物語が進むにつれ、空気が重くなる。
無限城に集結した鬼殺隊の柱たち。
それぞれが命を懸け、過去と向き合いながら戦う。
煉獄杏寿郎の記憶、胡蝶しのぶの決意、冨岡義勇の静かな激情。
画面に映るたび、心の奥を掴まれる。
炭治郎の叫びは、ただのアニメの台詞ではなかった。
人が苦しみながらも、誰かを思い、生きようとする声だった。
涙が出た。
音もなく、自然に頬を伝っていた。
暗闇の中だから、誰にも見られない。
でも、周りの席でも、何人かが鼻をすする音が聞こえた。
それが映画館の良さだ。
誰かと同じ時間に、同じ感情を共有できる。
それだけで、世界が少し優しくなる。
上越という街で観る意味
ふと思った。
なぜ、自分はこの映画を“上越で”観ているのだろう。
東京の大きな劇場でも良かったかもしれない。
でも、違うのだ。
上越の空気の中で観る『無限城編』には、
この土地ならではの重みがあった。
冬の厳しさを知る人たち。
雪に閉ざされても、春を信じて動く人たち。
その姿は、まるで炭治郎たちの“諦めない心”に重なる。
この街の静かな強さと、作品のテーマが響き合っていた。
映画館を出て感じる冷たい風さえ、どこか物語の延長に思えた。
エンドロールの余韻
戦いが終わり、静けさが訪れる。
画面に映る「鬼滅の刃 無限城編」のタイトル。
その後、スタッフロールが流れる。
涙と汗と、感謝が入り混じった時間。
最後の一文字まで観届けようとする人々。
誰も席を立たない。
スクリーンの光が照らす顔は、どれも穏やかだった。
曲が終わり、照明が戻る。
拍手こそなかったけれど、空気の中には“ありがとう”という気持ちが確かにあった。
ロビーに戻ると、現実がゆっくり戻ってくる
出入口のドアを開けた瞬間、
現実の世界の光が差し込む。
でも、心のどこかはまだ“無限城”の中にいた。
ロビーでは、感想を語り合う声が響く。
「ヤバかったな…」「泣いた…」「あのシーン鳥肌」
みんな言葉が少なくても、顔は満たされていた。
パンフレット売り場には列ができていた。
僕も迷わず手に取る。
表紙には、傷だらけの炭治郎。
その眼差しが、まるで「あなたもまだ戦える」と語りかけてくるようだった。
帰り道、夕焼けの上越バイパスで
映画館を出ると、夕陽が沈みかけていた。
西の空が朱に染まり、雲が金色に光っていた。
無限城の炎のような空。
まるで、作品のラストが空に映り込んだようだった。
車の中では、まだ鼓動が早い。
頭の中で「ヒノカミ神楽」の音が鳴り続けていた。
上越の街を走りながら、ふと信号待ちの時、
「生きるって、戦うって、なんだろう」と考えた。
鬼滅の刃は、ただのバトルアニメじゃない。
誰かを想う気持ちが、世界を少しずつ変えていく物語だ。
映画館の灯りが教えてくれたこと
上越のような地方都市では、
映画館という場所は「文化の灯り」そのものだと思う。
J-MAXシアターのスクリーンが光る夜、
その光を見に人が集まり、物語を共有する。
それは、街が“生きている”証だ。
この場所があるから、上越にも世界の物語が届く。
子どもたちが夢を見て、大人たちがもう一度心を震わせる。
それって、すごく尊いことだ。
終わりではなく、始まり
『無限城編』は物語の終盤だけど、
観終わった後、不思議と“終わり”という感じがしなかった。
むしろ「これからどう生きるか」を問われているようだった。
鬼滅の刃のキャラクターたちが見せた“生き様”は、
観る人それぞれの人生に重なる。
仕事でも、人間関係でも、日常のささいな場面でも、
その教えは静かに息づいていく。
映画館を出て数日経っても、
無限城の映像が頭から離れない。
闇の中に浮かぶ階段、
ひとり立つ炭治郎の姿、
そして、あの言葉。
「誰かのために、強くなれる。」
あのセリフが、胸の奥で何度も反響する。
たぶん、それこそがこの映画の本当の力だ。
観終わっても、まだ心の中で“戦い”が続いている。
でもその戦いは、前に進むためのもの。
生きる力を取り戻すためのものだ。
『鬼滅の刃 無限城編』を観に行った日。
それは、ただ映画を観た一日ではなく、
心の奥で“何かが変わった”日だった。
上越の街の片隅で、
スクリーンの光に照らされながら、
僕たちはそれぞれの“無限城”を、今日も登っている。